ご存じですか?
アムステルダム、運河から毎年1万5000台の自転車を釣り上げる
アムステルダムは「水路から回収された自転車の最多数(都市)」でギネス世界記録を持っています。市の水管理公社ウォーターネットは、はしけに載せたクレーンの油圧式アームを使い、毎年1万2,000〜1万5,000台の自転車を運河から引き揚げています。
この作業にはフィーツェン・フィッセン(自転車釣り)という呼び名まであり、見物の対象にもなっています。アームがフレームやハンドル、車輪をしたたらせながら水から上がってくると人だかりができ、獲物はそのままスクラップ行きになります。
規模を示すと、アムステルダムには2015年時点で約84万7,000台の自転車があり、住民の数よりも多いほどでした。運河は165本、水路の総延長は約100キロメートル、橋は約1,000あります。ウォーターネットの潜水チームは、ほかにも毎年平均で車約35台と人約100人を運河から救い上げています。
自転車の大半は、盗難やいたずらで運河に投げ込まれたものです。しかし、すべてがつまらない理由というわけではありません。1930年代には、アムステルダムの共産主義者たちがファシストの自転車をプリンセン運河に投げ込みました。そしてドイツ占領下では、レジスタンスの指導者たちが市民に、占領軍に自転車を没収されるくらいなら自分で運河に捨てるよう呼びかけました。
ここで時計の話になります。
時計: 1908年、オランダ議会は、国全体の法定時をアムステルダムの教会の塔ヴェステルトーレンにおける平均太陽時と定める法律を可決しました。法律は1909年5月1日に施行され、その時刻はGMTプラス19分32.13秒でした。この「.13」まで条文に書かれています。一国全体が、ひとつの尖塔を基準に、100分の1秒単位で時計を合わせていたのです。
1937年7月1日、この時差はきりのよい20分に丸められました。
1940年5月16日、占領したドイツ軍はオランダの時計をベルリン時間に進めました。
オランダがそれを元に戻すことはありませんでした。1945年の解放後も中央ヨーロッパ時間を使い続け、今もそのままです。自転車は占領軍の手に渡らないよう運河に沈められ、やがて引き揚げられました。時計は引き揚げられなかったのです。
痕跡がひとつだけ残っています。基準となるタイムゾーン・データベースは、過去の日時を正しく換算できるよう、履歴ファイルの中に`Europe/Amsterdam`の`0:19:32`という行を今も保存しています。世界中のソフトウェアのどこかで、オランダの教会の塔が今も時を刻んでいるのです。
出典・情報源
- ギネス世界記録、*Most bicycles recovered from waterways (city)*(年間1万2,000〜1万5,000台、自転車84万7,000台、車35台と人100人)
- DutchAmsterdam.nl(ウォーターネット、アリー・ベール氏へのインタビュー、運河165本/100km)
- Wikipedia、*UTC+00:20*およびIANA tzデータベースの`Europe/Amsterdam`の項(0:19:32.13、1937年7月1日の丸め、1940年5月16日の占領による変更)
- R.H. van Gent、*De wettelijke tijd in Nederland*(1908年7月23日の法律、Staatsblad 1908年第236号、ヴェステルトーレン)