ご存じですか?
シカゴは川の流れを逆にして、まんまと成功した
1800年代の終わり、シカゴは問題を抱えていました。下水はシカゴ川に流れ込み、シカゴ川はミシガン湖に注ぎ、そのミシガン湖が市の飲み水だったのです。市は選択肢を検討した末、いちばんきれいな解決策は川の流れを逆にすることだと結論づけました。
1900年1月2日の夜明け、少数の役人たちが最後の堰を切りました。ミズーリ州が差し止めを求めて提訴する準備を進めており、工事がすでに終わっていることを判事に知られたくなかったため、作業は好意的な記者を数人だけ立ち会わせ、早朝にひっそりと行われました。
訴訟は合衆国最高裁判所まで進み、同裁判所が審理した初の公害訴訟となりました。勝ったのはシカゴです。オリヴァー・ウェンデル・ホームズ判事は、ミシシッピ川が汚れているのは確かだが、もっと近くの多くの都市がまったく同じことをしている以上、そのすべてをシカゴの責任にはできないと述べました。
川は1900年以来、ずっと逆向きに流れています。
おまけに、有名な緑の染料はもともと下水の検出用でした。市の職員は川への違法な排水を突き止めるために染料を使っていたのです。1962年、誰かがそれを100ポンド(約45kg)流し込んだところ、川は1週間エメラルド色のままで、市の漏水検出の技術が毎年恒例の市民の祭りになりました。
時計: シカゴはタイムゾーンが生まれた場所でもあります。
1883年まで、北米ではおよそ300もの地方時が使われ、町ごとに自分たちの太陽で正午を決めていました。農業には差し支えなくても、鉄道にとっては悲惨です。1883年10月、鉄道各社はシカゴのグランド・パシフィック・ホテルに集まり、どの政府にも一切諮ることなく、大陸全体に4つのタイムゾーンをあっさり押しつけました。
切り替えは11月18日でした。シカゴ・トリビューンの記者は、駅の時計が正午に止まり、9分32秒後にふたたび正午から動き出すのを見届けました。新聞はこの日を正午が二度ある日と呼びました。
ホテルはもうありません。その跡地に建つビルは、今ではセントラル・スタンダード・ビルと呼ばれています。
出典・情報源
- シカゴ・トリビューン アーカイブ「1883年、国の大部分が『正午が二度ある日』に時計を合わせ直した」
- 米国議会図書館「今月のビジネス史:正午が二度ある日」
- WTTW Chicago「シカゴ川の逆流」
- ミズーリ州対イリノイ州事件、200 U.S. 496(1906年)
- WBEZ Curious City
- NPR、緑の染料の起源が下水検出だったことについて(1962年、100ポンド)